近藤 雪竹 こんどうせっちく
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夕陽 数峯遠く。靄々として江南思う。 煙外 鍾声有りて。山僧 独り 寺に帰る。 明治33年(1900) |
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136.5p×33p |
文久3年6月20(新暦 1863年8月4日)日生〜昭和3年(1928)10月14日歿 製作年 明治33年(1900) 38歳 |
名は富寿、字は考卿。江戸(山形藩水野候邸内)の生れ。幼少より学問を好み、紀州藩儒井上葦齋について漢学を学んだ。書は明治12年17歳のとき、日下部鳴鶴の門に入り、傍ら巌谷一六にも益を受けた。漢魏六朝の墨蹟を研究して諸体をよくし、特に隷書では他に比類ないほどの妙手といわれ、天来・海鶴と共に三羽烏として知られた。 明治18年23歳のときから61歳まで39年にわたって逓信省に勤務するかたわら、書道奨励会審査員・日本書道会及び文墨協会幹事・日本書道作振会、戊辰書道会等でも活躍した。門人の数は3000人と称され、辻本史邑、松本芳翠、佐分移山らが輩出した。 著書に『楷書前赤壁賦』『行書蘭亭帖』『四体四時読書楽帖』などがある。 「雪竹富寿書」の下に、白文の「近藤富寿」、朱文の「雪竹逸史」の落款印が押されている。 推奨サイト http://plaza.rakuten.co.jp/junchiyoohgai1/diary/200509130001/ http://72.14.235.104/search?q=cache:6iLj5rR1QO0J:www.city.kasugai.aichi.jp/kyoikuiinkai/bunkazai/tofu/sakuhin/kondousettiku.html+%E8%BF%91%E8%97%A4+%E9%9B%AA%E7%AB%B9&hl=ja&ct=clnk&cd=5&gl=jp&lr=lang_ja http://www.shibunkaku.co.jp/biography/search_biography_aiu.php?key=ko&s=160 http://www.daito.ac.jp/~oukodou/gallery/pic-919.html |